zemroika

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初夏のキエフ、6月、フレシャーチク大通りにて



先週キエフに出張に行っている間、タジキスタンではYoutubeはおろかFacebook含むSNS、メール、ニュースサイトなどが閲覧規制がかかって見られなくなっていたようでした。
(イスラム教の国としてこの国も例外でなく、ISIL関連でいろいろあり、そのあおりを受けた形です。)
戻ってきた頃には何事もなかったかのように規制が解け、YoutubeでBGMを流しながら今これを書いています。文化的で民主的な生活だ!



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そう、ウクライナのキエフに出張してきたのです。

人の旅行の思い出話ってそんなに面白くないと経験的に知っているので、なるべく控えますが、6年ぶりで3回目のキエフでした。前回、前々回はどちらも冬で、真っ白に凍結したドニエプル川を見下ろす駅のホームで、毛皮のコートを着たものすごい美女を映画のワンシーンのように覚えています(記憶って曖昧なので本当にそういう立地の駅があったかは謎)。
が、今回の出張ですっかり街のイメージが一新されてしまいました。
新緑、太陽、青いドニエプル川の照り返し、船着き場、正教会の眩しく輝く黄金のドーム。
キエフには美しい教会がたくさんありますが、写真は聖アンドレイ教会に行くまでに迷った路地裏で見かけた名前も知らない教会です。


そして、はじめて旅行した頃はロシア語とウクライナ語の区別も全くつかない状態だったけれども、いまではいかにウクライナ語が優遇されているかがわかる。
空港への帰り道、ドライバーが在ウクライナのロシア大使館を指して、窓がすべて閉ざされていること、大使館前で暴動があり物を投げつけられたりしたこと、今は職員が誰もいないことを語ってくれたのも忘れがたい。


ところですっかりスラヴ系の美女を見慣れてしまってもはやなんとも思わないのですが、今回の出張先の詰所で、現地職員の女性の綺麗さにちょっと絶句していた他の国からの出張者を見て、なんだか誇らしい気になり、その現地職員さんが、今回の出張の目的である日本のVIPのウクライナ訪問で、VIPへのお茶出し係という大役をこなしていたのを見て、やっぱりなんだか誇らしい気持ちになった。スラヴィストの人にはこの気持ちわかってもらえるんじゃないかと思う。



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  1. 2015/06/13(土) 16:14:57|
  2. ロシア語圏への旅
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南サハリンの旅・望郷編


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サハリンに行ってきました。


ヴズモーリエの日本統治時代の旧名は白浦。ユジノサハリンスクから2時間ほど北上した先のオホーツク海沿岸の町。かつての白浦神社の鳥居だけが当時のまま残されている。
この場所に立ちながら後ろを振り返ると、赤茶けた砂と枯れたススキの浜辺に、オホーツクの白波が押し寄せているのが見える。ヴズモーリエという言葉は「浜辺」という意味の普通名詞でもある。あちこち潮風に錆びた民家。水たまりをよけながら静かに歩く大きな犬。


***

サハリンはすっかり秋でした。秋はロシアではとても愛されている季節で、黄金の秋と呼ばれます。というのも、西側のロシアは大ぶりのイチョウやカエデが黄一色に色づく黄葉が美しいため(だと私は思っている)。9月下旬のヤロスラヴリ街道のバス旅が、まるで永遠に続く黄色のトンネルを行くようだったり、10月半ばのモスクワ大学構内で留学中の友達と、手の平よりずっと大きいカエデの黄色い葉を拾ったことを覚えている。


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それに比べてサハリンの秋は、白樺のちらちらした黄色の葉と、小さなモミジの赤、茶色に立ち枯れた低木、それが車道沿いや低い山を埋めていて、日本の北国のような景色。
昔サンクトペテルブルグにいた時の最初のルームメイトはユジノサハリンスク出身の17歳の女の子だった。「地元の海で遊んだの!!」と言って見せてくれた写真には、いったいこれはどこの小樽ドリームビーチだ………というような、北国にしかあり得ない見慣れた寂しい海が広がっていた。黒っぽい砂浜と曇り空、北風になびくはまなすの花。

***

ユジノサハリンスクはロシア正教会と日本時代の建築の共存する不思議な、小さな州都です。

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こちらは郷土博物館。樺太時代も博物館に使われていた建物。

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ユジノサハリンスクは札幌をモデルに碁盤の目状に造られた町で、市内西側の鉄道駅から、市内東側のガガーリン公園まで、30分もあればまっすぐ端から端へ歩いていける範囲に、コンパクトに中心部がまとまっている。
日暮れ寸前に業務終了、それからすっかり暗くなるまでの少しの時間が貴重な一人歩きの時間でした。
チェーホフ記念劇場を通り過ぎたと思ったら、ふいに大通りの向こう側に日本時代のものらしい建物を見つけたり(ガイドブックを見たら「旧樺太庁会議室」とあった)。旧拓殖銀行(今は美術館として使われている)の近くのパン屋さんに入ったら、長方形のクッキーにレーズンとバタークリームを挟んだものが”クッキー・サッポロ”と名前をつけて売られていたり。
(※何のことだかピンと来ない方は北海道銘菓の大御所のホームページをどうぞ→マルセイバターサンド

***

ユジノサハリンスク産の大玉のビーツで作ったビネグレートとボルシチ。

サハリンは寒く、収穫できる農作物が非常に限られている。トマトやキュウリはビニールハウス栽培、米や麦は一切なし、果物もすべて大陸からの輸入とのこと。じゃがいもや玉ねぎやビーツなどを少ない農地で育てているのだろう。あの島の何ともいえない侘しさは植生のさみしさが一因なのは間違いないと思う。ビネグレートもボルシチもビーツの味でとても甘く仕上がったけど。





  1. 2014/10/25(土) 23:03:04|
  2. ロシア語圏への旅
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宮沢賢治とサハリンへの旅

 ――「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにそれがどんなにつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」


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さてこれはどこでしょうか!
(※ヒント:渡島半島ではありません)


間もなくサハリンに出張で行ってまいります。写真はサハリンの北緯50度線より南、かつて日本統治時代に南樺太だった部分。こうして切り取ってみるとますますどこなのだかわからない。この地図の裏側には50度線より北が印刷されていて、そして右側に印刷された列島は北方四島と千島です。
サハリン州はサハリン島とクリル(北方四島+千島)を含むため、州旗はこんな感じ↓で、この詰まり具合、道民としてはなんとなく脅かされる感じ(実際の地図ではこの間に北海道が横たわっているわけです)。

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そして冒頭に置いたセリフは、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』からです。最愛の妹を亡くした傷心の宮沢賢治がかつての樺太を旅して、その鉄道旅をモチーフに『銀河鉄道の夜』を書いた、というエピソードは、一般にはどのくらい有名なのだろう。

ロシアでおそらく宮沢賢治はあまり有名でなくて、ユジノサハリンスク生まれで日本語を勉強している年少の友達も、賢治のことは知らなかった。
以前ドイツの(日本語がぺらぺらの)女の子と話して、賢治が好きだと言うので、ドイツ語の翻訳は全作品揃っているのかと聞いたらほとんどないとのことだった。これはちょっと意外な思いがした。

結局、詩の翻訳は難しいということなんだろうと思う。『銀河鉄道の夜』にしても、久しぶりに再読して、これは全編とおして最上級の詩だと思った。


――「『この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えている。』」

――「ジョバンニは、走ってその渚に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。」

――「金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河の河床の上を水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射した一つの島が見えるのでした。その島の平らないただきに、立派な眼もさめるような、白い十字架がたって、それはもう凍った北極の雲で鋳たといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。」


凍った北極の雲で鋳た十字架!
驚くべきは、盛岡からサハリンまでの旅も大ごとだっただろう時代に、北極の雲を白の比喩に使う想像力で、今でこそ、これを書いている横のタブで「北極 雲」とでも検索すればすばらしく美しいカラー写真の洪水が押し寄せてくるけれども、一体賢治はどうやって北極の白を思い浮かべたのだろう。
凡庸なことを書くようで恐縮ですが、情報はありすぎると想像力を奪うというのを、骨身にしみるほど実感する思いです。今であれば「これは映像や写真がないと説明できない」、と思ってしまうようなことは、本来これだけ詩的かつ精密に書けるはずなのに。


宮沢賢治の話で熱くなってしまいました……。

ロシア文学的には、チェーホフの『サハリン島』という有名なノンフィクションがありますが、これはけっこう大変な本で、チェーホフ初心者には全然おすすめしません。好きになってほしいので、やはり一作目は『かもめ』かな。よかったら次に『三人姉妹』か『桜の園』、もっと暗くても耐えられるのであれば、是非『ワーニャ叔父さん』を。

『サハリン島』は、サハリンに島流しにあった囚人の記録をひたすらつけている作品で、もともとが全然楽しいテーマでない上、チェーホフから見て極東も極東、地の果てサハリンの、砂埃の舞う悪いところだけを切り取ったようなところがあり…
それに、おもにこの作品が展開している場所が、北緯50度よりもっと北の西海岸のために、今回の出張ではそこまで行けず。
自分一人のための物見遊山ならば、どこまででも行っていいと思うけれど、今回は日本の近くの南のほうを、じっくり見てこようと思います。
多分20年くらい前に稚内側からその島影を見たはずのサハリン。「いつかは絶対に行けるだろう」と思っていたサハリン行きが、それほど遅くなく実現して、いまは行く前からもう「いつかきっと2回目もあるだろう」と思っています。



 ――「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにそれがどんなにつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」

 ――「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」




  1. 2014/10/07(火) 01:00:38|
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ツーリズムEXPO & トルストイ

毎年9月下旬に東京ビッグサイトで開催される旅行博、今年2014年はツーリズムEXPOジャパンと名称を変え、9/25~28の4日間で行われます。一般入場は9/27(土)と9/28(日)。


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日本のみならず全世界の観光局・旅行会社・航空会社等々が一堂に会し旅行の宣伝をするわけですが、目玉は何と言っても各ブースの食品販売と、ノベルティの配布。マトリョーシカ型のUSBだの、ホフロマ風のマグネットだの、そういうものをブースの机に並べては持って行かれ、並べては持って行かれ、あらここそういえばどこの国?あらロシア?ふーん・・・・・・。という、そういうイベントです(ブースの内側に立ってる側から見る風景です)。

そんなロシアブースですが、モスクワ市政府、ペテルブルク観光局、ウラジオストク・ハバロフスクの旧国営系旅行会社、イルクーツク・バイカル湖の旅行会社(バイカルアザラシのぬいぐるみを見かけたらそこです)、サハ共和国、サハリン、カムチャツカ、それにアエロフロート、S7航空(旧シベリア航空)などなど、毎年少しずつ顔ぶれは変われど、全土から様々な機関に旅行会社が集まります。

去年、一通りノベルティを配り終え、呆然としていると、ふと正面のヤースナヤ・ポリャーナブースの女性と目が合い、写真のような素敵な資料を頂いてしまった。

ヤースナヤ・ポリャーナというのは文豪トルストイの生家のあった土地で、彼はそこに生き執筆活動を行いました。今でもトルストイの子孫にあたる人の手によって博物館が営まれている。この紙袋のお洒落さにまず驚いたし(英露のヤースナヤ・ポリャーナという文字の葉でできた樹のデザイン)、それ以来チェックしているFacebookアカウントでは頻繁に情報が配信されているのにも驚いたし、それにどうやら敷地内で精力的に文学関連の催しを行っているようだ。

何よりも驚きなのは、ヤースナヤ・ポリャーナから、トルストイ博物館を宣伝するためだけに、東京ビッグサイトまでやって来てくれたというその事実ですが…。

『カラマーゾフの兄弟』ブームがあったのだから『アンナ・カレーニナ』ブームが来たっていいとは思うんだけど、あれはひらたく言うと家族生活の話なので(アンナと駄目な夫+駄目な間男の不倫と不幸を主軸に、リョーヴィンとキティという若い男女の恋と結婚の物語が同時に展開していく)、いちばん本を読める男子学生にはまだちょっとだけ早いかなあと思うし、かと言っていまの結婚適齢期の日本人の男女に勧めるには、やっぱりあまりにも長すぎるんだよな。


  1. 2014/09/13(土) 14:57:23|
  2. ロシア語圏への旅
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ヴェラ・ヒティロヴァ監督 『ひなぎく』

1966年公開のチェコ映画『ひなぎく』を観た。

今プラハに住んでいる友達の「日本ではガーリー映画扱いだけど本国ではそんなことは一切なく」という言葉を聞いてから観に行った。女の子二人がお洒落と悪戯にふけるとてもファッショナブルな映画だけど(ツインテールの黒髪のほうはいつも胸のあいた黒っぽいワンピースを着てショールを巻いて、金髪のショートカットのほうはグリーンや白っぽいワンピースを着て、いつも花輪をかぶっている)、コラージュ画面で目の回る芸術爆発映画だった。すばらしかった。

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(この魚はチェコのクリスマスのシンボルの鯉。
友だちがプラハからの手紙に入れて送ってくれたのを気に入って、熱帯東京の真夏の今もまだ机のそばに置いている)


ロシア語とチェコ語はどのくらい似ていてどのくらい違うのか。
まず、チェコ語はラテン文字で書かれます。カトリックの国はラテン文字、正教の国はキリル文字を使うというのが、簡単で大雑把な分け方。
辞書を見せてもらったら驚くほど単語がロシア語と共通で、ラテン文字の雑踏の中に親類を見つけたような気分になる。でも発音してもらうと、発音の規則がそれぞれ違うために、まったく違う響きだったりして、「会わないうちにすっかり変わってしまったんですね」的やり場のない淋しさを味わったりする。

映画を見ながら、思っていた以上に遠い言葉という感想を抱いた。
こういうのなんか↓はほとんど同じ発音で聞き取れたけど、

「わたし姉です」 Я сестра.
「~して頂けませんか」 Прошу вас...
「お取りください」 Возьмите,

声の発声そのものが、イタリアとか明るくて暖かいヨーロッパの人たちに少し似ていると思った。ポーランドの女の子とロシア語で話したことがあるのと、グダニスクを観光したことがあって、ポーランド語に「シュワシュワというかシュカシュカした感じの色の薄めのロシア語」という印象を持っていたけど、それともまた違った。

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(グダニスクの中央駅。ロシアの飛び地のカリーニングラードから深夜に列車で到着した)


ロシア語のメランコリックで奥の方が青く透き通るあの音を、とてもとても愛しているし、何より8年も付き合っていると骨の髄まで染みついてしまって、他のスラヴ語を聞くとうっかり間違えてパラレルワールドに入り込んでしまったような不安で不思議な感覚になる。


  1. 2014/08/15(金) 17:32:08|
  2. ロシア語圏への旅
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