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zemroika

南サハリンの旅・望郷編


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サハリンに行ってきました。


ヴズモーリエの日本統治時代の旧名は白浦。ユジノサハリンスクから2時間ほど北上した先のオホーツク海沿岸の町。かつての白浦神社の鳥居だけが当時のまま残されている。
この場所に立ちながら後ろを振り返ると、赤茶けた砂と枯れたススキの浜辺に、オホーツクの白波が押し寄せているのが見える。ヴズモーリエという言葉は「浜辺」という意味の普通名詞でもある。あちこち潮風に錆びた民家。水たまりをよけながら静かに歩く大きな犬。


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サハリンはすっかり秋でした。秋はロシアではとても愛されている季節で、黄金の秋と呼ばれます。というのも、西側のロシアは大ぶりのイチョウやカエデが黄一色に色づく黄葉が美しいため(だと私は思っている)。9月下旬のヤロスラヴリ街道のバス旅が、まるで永遠に続く黄色のトンネルを行くようだったり、10月半ばのモスクワ大学構内で留学中の友達と、手の平よりずっと大きいカエデの黄色い葉を拾ったことを覚えている。


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それに比べてサハリンの秋は、白樺のちらちらした黄色の葉と、小さなモミジの赤、茶色に立ち枯れた低木、それが車道沿いや低い山を埋めていて、日本の北国のような景色。
昔サンクトペテルブルグにいた時の最初のルームメイトはユジノサハリンスク出身の17歳の女の子だった。「地元の海で遊んだの!!」と言って見せてくれた写真には、いったいこれはどこの小樽ドリームビーチだ………というような、北国にしかあり得ない見慣れた寂しい海が広がっていた。黒っぽい砂浜と曇り空、北風になびくはまなすの花。

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ユジノサハリンスクはロシア正教会と日本時代の建築の共存する不思議な、小さな州都です。

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こちらは郷土博物館。樺太時代も博物館に使われていた建物。

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ユジノサハリンスクは札幌をモデルに碁盤の目状に造られた町で、市内西側の鉄道駅から、市内東側のガガーリン公園まで、30分もあればまっすぐ端から端へ歩いていける範囲に、コンパクトに中心部がまとまっている。
日暮れ寸前に業務終了、それからすっかり暗くなるまでの少しの時間が貴重な一人歩きの時間でした。
チェーホフ記念劇場を通り過ぎたと思ったら、ふいに大通りの向こう側に日本時代のものらしい建物を見つけたり(ガイドブックを見たら「旧樺太庁会議室」とあった)。旧拓殖銀行(今は美術館として使われている)の近くのパン屋さんに入ったら、長方形のクッキーにレーズンとバタークリームを挟んだものが”クッキー・サッポロ”と名前をつけて売られていたり。
(※何のことだかピンと来ない方は北海道銘菓の大御所のホームページをどうぞ→マルセイバターサンド

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ユジノサハリンスク産の大玉のビーツで作ったビネグレートとボルシチ。

サハリンは寒く、収穫できる農作物が非常に限られている。トマトやキュウリはビニールハウス栽培、米や麦は一切なし、果物もすべて大陸からの輸入とのこと。じゃがいもや玉ねぎやビーツなどを少ない農地で育てているのだろう。あの島の何ともいえない侘しさは植生のさみしさが一因なのは間違いないと思う。ビネグレートもボルシチもビーツの味でとても甘く仕上がったけど。





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  1. 2014/10/25(土) 23:03:04|
  2. ロシア語圏への旅
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